総務やさん最新号

「総務やさん」第710号

体験密度を上げる
             ・・・・(株)総務システムサービス
                  代表取締役 伊藤 碩茂(ヒロシゲ)

 ”メールで友達”いわゆる”メルトモ”のこと、ほんの20年ほど前にはあ
り得ないことでした。今や、LINEやSNSなど友達を作る手段は、ネット
上に溢れています。会ったこともない人と”友達になる”とは、筆者の年齢で
は考えられないことでした。

 暗黙知の高いモノカルチャーの地域社会は、自然と友人知り合いができます。
幼馴染が誰にでもいました。そんな社会での最強のイジメは、”村八分”です。
地域慣習に馴染まない変わり者の烙印を押された者とその家族は、悲惨な毎日
を生きることなりました。それでも残りの二分によって、最低限の繋がりが許
されました。

 一方、面識のない人と友人とまでいかなくとも、知り合いになる難しさは、
人生における大きな壁の一つでした。最低限の生のコミュニケーション能力を
身に付けるのは、生きる重要な術の一つでした。

 ネットのない時代、”引きこもり”は不可能です。何故なら、”食べる”行
為が極端に難しいからです。どんなに”人間嫌い”でも、引きこもりは飢餓と
孤立よる自死を意味します。

 筆者の青春時代の評論、寺山修の”書を捨てよ町に出よう”を思い出します。
このスローガンを現代風に読み替えれば、”引きこもるな!外に出て体験しよ
う”となります。しかし、今や町や村に子供達が徒党を組んで遊び回る景色が
なく、知らない人に声を掛けられたら、逃げなさいと教える。ディスプレイか
ら見る映像が、実写であってもゲームであってもそれは仮想体験にすぎません。
生の実体験とは程遠いものです。

 フロイドは、父性の役割を子供に不条理を教えることだと言っています。世
の中は不条理の塊です。筆者は、所謂田舎で幼年期を過ごしました。学校の先
生の”えこひいき”、酔っ払いの頑固親父の矛盾に満ちた説教、ガキ大将に嫌
われると遊んでもらえない恐怖、すべてが不条理でした。しかし、幼児体験の
密度は広く深かったのです。

 ところが、多様性は極限にまで進んでいます。価値観、倫理観が違えば、一
方にとっての合理性は他方にとっての不合理です。それを受け入れるには、多
くの生の体験を積む必要があります。生きるとは、”体験”の連鎖です。


労働は苦役ですか?
                 ・・・・後藤 佳代子(ごとうかよこ)

  蒸し暑い夏は過ぎ去り、実りある秋となりましたね。我が家も稲刈りの時期
を向かえており、初夏の田植えに始まり、雑草や水管理・・・多くの工程を掛
けて育った新米を、毎年感謝しながらいただき喜びを感じております。

「稲」といえば・・・

「古事記」「日本書紀」には働くことは神の罰ではなく、神から祝福されるも
の、神の業であるという労働観が示されているとの指摘があります。
 すなわち至高神である天照大御神でさえも高天原に田んぼを持ち、労働に携
わり天上で作っている稲穂をいただいたことによるものなのです。
 日本には実り豊かな国を意味する「瑞穂の国」という美称がありますが、こ
れは稲穂のみずみずしい様子を讃えたものです。

 古代の日本は労働生産性が高い国であったのではないでしょうか?

 これに対して、旧約聖書の話で、アダムとイブは禁断の果実を食べるという
原罪を犯したことから、アダムには「労働」を、イブには「産みの苦しみ」と
いう罰が神から与えられた、ということはよく知られております。
 つまり西洋社会では労働は苦役であり、神からの罰であるという労働観が基
盤にあると考えられます。

 働くことの意義を論ずるとき、それを苦役と捉えるか喜びと捉えるかによっ
て、考え方は正反対になりますね。長時間労働の問題についても、苦役として
の労働から労働者を少しでも早く解放してやるべきとするか、働くことで成長
を実感し喜びを得る者には士気向上に資する労働時間を認めた方がよいとする
のかは、一律に対応できない価値観の相違がありますね。

 私は労働について今一度考えてみたいと思います。
 あなたは、どちらですか・・・?